Kairos nk

暦あれこれ

  • HOME »
  • 暦あれこれ

今日は何の日?そう問われたら、先ず?月?日、または?曜日と答えるのが普通でしょうか。家族や恋人同士だったらお互いの誕生日、あるいは結婚記念日だったり、ビジネスの関係なら色々な会議・打ち合わせに営業のアポなど様々な生活や仕事のシーンを脳裏に思い浮かべるかもしれません。中には大安、仏滅などと縁起を担ぐ場合もあるでしょう。

私たちがこうして日常当たり前のように日にちを認識したり区別したりできるのは暦という優れものが身の回りにあるからですよね。逆に暦のない生活を考えてみればどうなるのか。これから先の計画・スケジュールが立てられない。近い先なら場合によっては昼夜を数えたりお月様の朔望によって可能かもしれませんが、まあ、骨が折れます。それと季節感はどうでしょうか。だんだん暖かくなってきた、朝晩が少し冷え込むようになってきたとか肌身で感じるものでしょうが、四季の巡りをきちんと暦が教えてくれるからこそ納得して季節の準備・計画ができます。

このように日常の生活の基本ともなっている暦の歴史は文字通り太古の昔から人類の出現とともにあったといえます。だから人類のあるところ暦が生まれた訳です。今、私たちが使用している暦はグレゴリオ暦(*ユリウス歴を修正)といって太陽の運行に基づく暦、つまり太陽暦で1582年10月、当時のローマ教皇グレゴリウス13世によって制定されました。

*ユリウス歴:ローマのシーザーが当時としては珍しかった太陽歴を用いていたエジプトのクレオパトラとの縁によって完成させたユリウス歴が

1582年といえば日本でも6月2日(旧暦。グレゴリオ暦では7月1日)に本能寺の変で信長が光秀によって自刃させられ、歴史の大きな転換点になった年です。そして信長が殺される数ヶ月前の2月20日、九州は豊後国のキリシタン大名・大友宗麟らの名代として当時12~3才の少年4名らが「天正遣欧少年使節」として長崎を発ちました。2年半かけてヨーロッパ大陸に入り、1585年にはローマでグレゴリウス13世に謁見しています。このアイデアは当時イエズス会のアジア巡廻師として信長の庇護を受けていたアレッサンドロ・ヴァリニャーノのもので、それも独断だったという説もあるようです。様々な理由でキリスト教に寛容であり、独創的で、新しいものに異常に興味を引かれる信長の時代だったからこそ可能だったわけですが。

彼らは1590年に長崎に帰着しましたが、彼の地で彼らは王子として大歓待を受け、西洋の人々に初めて日本を知らしめました。彼らの滞在中に40種類以上の使節団に関する出版物が発行されたと言います。ローマ教会の人々にとっては教皇の威光が見果てぬとんでもない地にまで及んでいるのか、と感激したのでしょう。幕末、日本に来航した黒船のペリーもこの使節団のことを知っていたというのですから,、当時の西洋の人々にとっては大変な衝撃だったことが想像できます。

「天下布武」と西洋への好奇が共存した信長の死。そして私たちが今依拠する暦が誕生した1582年。この年に日本と西洋が何となく繋がったという共時性=シンクロニシィティー。こうしたロマンを暦は感じさせてくれます。

お気軽にお問い合わせください。 TEL 042-548-3143 受付時間 10:00~19:00
土日祝は午後1時~(火曜休み)

PAGETOP
Copyright © カイロス.Nk 中森令粢 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.